研究課題
今年度は、本計画の最終年度である。これまで、この研究では、「調停」というハードな概念をたて、この概念に基づいて19世紀にみられる非裁判的紛争解決システムを探求してきた。この結果見つかったのは、フランスのconciliation、ドイツのSchiedsmannである。この2国では、19世紀の初めから、紛争解決を裁判だけでなく「調停」も動員して行うという志向が強くみられる。一方、19世紀半ばから西欧大陸法の継受を大規模に行った日本では、裁判所機構が行政権力より分離した直後に、裁判所が紛争当事者間に介入して「調停」を行うという事態がみられた。この「調停」のことを日本では「勧解」と呼んだ。勧解制度を設計する際には、上記の、フランスのconciliation、ドイツのSchiedsmannが参照されたことが本研究で判明した。勧解制度は、従来、日本に特有のもののように論じられてきたが、少なくとも、ここからは、明治初年の日本の「勧解」への強い志向が、日本でだけみられる特異な現象とのみいうことができないということがわかる。19世紀近代の紛争解決システムという視点を設定したとき、大陸法諸国では、裁判と並んで「調停」があるという点は間違いなく指摘できるからである。一方で、19世紀イングランドには、大陸的な意味での「調停」はない。だが、紛争解決システムの問題としては、「仲裁」が注目されねばならない。こうして、「裁判」に対する史的批判の視角が、最終年度に獲得された。
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法社会学 70号
ページ: 74-83
明治大学法科大学院『法科大学院論集』 6号
ページ: 24-49
上智大学法学会編『上智大学法学部創設50周年記念変容する社会の法と理念』
ページ: 104-150