「従来型」の広告への疑問が呈されて数年になる。さまざまな近未来型広告手法が編み出される中、エンタテインメント作品と広告とを融合させる「ブランデッド・エンタテインメント」が一つの手法として注目を浴びるようになった。 ブランデッド・エンタテインメントは、アメリカのマーケティングにおいては、既に定着したものと言える。その発展には、メディアの多様化、消費者におけるメディア消費パターンの多様化、そしてエンタテインメント業界における変化などの要因が複雑に絡み合ってきた。エンタテインメント業界における制作費の高騰、特にテレビ業界の構造変化と競争激化は、この領域への必要性を大いに高めることとなった。広い意味でのブランデッド・エンタテインメントにおいては、狭義のプロダクト・プレースメントが、依然として重要な地位も占めているものの、新たに、より戦略的、経営の高レベルで扱われるブランデッド・エンタテインメントが浮上してきた。それは「業界」としての形を整えつつあり、コンテンツ制作者たち、メディア、広告主、各種代理店などが、より大きな利益を確保しようとしのぎを削っている。 業界内部においては、クリエーティブ・コントロールをめぐり、広告主と制作側とが対立する。特にタレント代理店において、どちらを代表するのか、双方から報酬を受け取ってよいのか、といった、力関係に大きく影響する問題がある。ここに新たな‘商売ネタ'を見つけている法律事務所の動きも興味深い。確かに取引金額が大きくなり、契約には、単なる商品露出に関する規定に限らず、商標権、肖像権、著作権、政府の広告規制など多岐にわたる法律分野に目配りする必要がある。また、テレビネットワーク側が、リアリティ番組などに流れるスポンサーのブランデッド・エンタテインメント経費の一部を要求し始めたのは、面白い現象である。本来ならばその費用は、スポット広告費であったはずである、という主張である。ブランドの推奨をさせられるのは表現の自由を損なうことになる、と主張する俳優や作家の組合も、彼らがしばしば行う「経済的利益をねらった芸術的主張」に過ぎない。 このような駆け引きと権力争いが続く業界は、混沌とした状況にある。しかし、驚いたことに、ブランデッド・エンタテインメントはおろか、プロダクト・プレースメントの費用対効果測定の試みはほとんどなされていない。伝統的な広告出稿に伴う効果測定とその結果を要求する広告主の常日頃とは合わず、誰もが今のところ気づかぬふりをし続けている。学術研究においては、プロダクト・プレースメントの効果測定の実証的研究が少しずつ積み重なっており、それを統合したフレームワークもようやく提唱されてはいる。しかし、通常の広告効果測定の考え方をベースにしつつ、消費者が作品登場人物、あるいはその俳優にどどれだけ共感できるか、ストーリーにどれだけ入り込めるか、といった新たな変数を加えていかなければならないという課題を残している。すなわち「ブランドと消費者との関係醸成】をあるメディアの文脈からどのように読み取るか、という長期的かつ定性的な側面になると、研究は発展登場である。ブランデッド・エンタテインメントが、戦術的プロダクト・プレースメントにとどまるものではなく、戦略的なブランティングに有効なものであると主張する業界にとっては、その正当化、理論化が待たれるところであろう。
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