研究代表者は多民族・多言語国家である中華人民共和国における少数民族が、民族言語をどのように継承しているかについて、「朝鮮族の'bilingualism'からみた中国の'multilingualism'と題して発表を行った。市場経済化が進行する中国では、漢語(いわゆる中国語)の習得が社会的上昇の契機である。高度経済成長が進行中の社会で伝統文化が等閑視されるのは、かつて日本や韓国などが経験したことであり、ひとたび失われてしまえば、それを復元するのは容易なことではない。日本や韓国のような比較的等質的な社会における伝統の喪失とは比較にならぬほど、中国の市場経済化による民族文化の衰退は徹底的である。もとより、言語や宗教をはじめとする民族文化は時の流れともに変容をこうむるものであり、それを強制的な同化とみるか、自然な同化とみるかは、観点によって異なりうる。しかし少数民族地域の市場経済化を目標とする「西部大開発」による伝統の破壊は、着実に少数民族を「漢化」している。 費孝通が理論化した「中華民族」なる概念は、かって米国でとなえられた「人種のるつぼ」、ソ連邦でとなえられた「ソビエト人」と同様、国家統合の手段として提唱されてるのだろう。しかし米国でもソ連でも国家統合のこれらのイデオロギーは破綻した。そもそも「中華」という国号からして諸民族の同居とは背反するといわざるを得ない。本研究の意義は、モンゴル族、朝鮮族における継承語の問題をフィールドワークする過程で、市場経済化が諸民族の矛盾を糊塗する唯一の手段とみなされている一方、その実現は多難であると指摘した点にある。
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