研究課題/領域番号 |
18330159
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
梶山 雅史 東北大学, 大学院教育学研究科, 教授 (60066347)
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研究分担者 |
清水 禎文 東北大学, 大学院教育学研究科, 助手 (20235675)
坂本 紀子 北海道教育大学, 教育学部, 助教授 (40374748)
笠間 賢二 宮城教育大学, 教育学部, 教授 (50161013)
佐藤 幹男 仙台大学, 体育学部, 教授 (30142904)
山谷 幸司 仙台大学, 体育学部, 教授 (50200704)
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キーワード | 地方教育会 / 帝国教育会 / 近代日本 / 教育史 / 教員養成 / 教育団体 / 森有礼 |
研究概要 |
本年度は3年計画の1年目にあたり、上記研究テーマの課題を研究組織全体で共有するために6回の研究会(うち3回は全体研究会)を実施した。10月の教育史学会においては、コロキウムを開催し、学会において注目を集めた。 近代日本が生みだした独特の教育関係者組織である教育会は、教員を中心として師範学校教員、教育行政関係者、地方名望家から構成され、その機能は中央の教育政策を地方において確実に実施するための緩衝弁として、すなわち地方の教育的課題や教育的要求を吸い上げ、地方の実態に応じた教育施策を実現するものとして、教育行政の補完的機能を担った。また、明治10年代に族生する地方教育会は、例外なく定期的に会誌を発行し、地方における教育情報の流通を促進し、教育世論の形成をリードした情報回路であり、教育メディアであった。教育会は、時代にニーズに応じてその機能を拡張させ、小学校教育から通俗教育、さらには国策を積極的に担うに至る。その空間的拡がりも日本本土ばかりではなく、朝鮮、台湾、樺太、南洋諸島等の旧植民地にまで拡張した。それゆえ、教育会の機能を端的に指摘するのは困難であるが、もっとも中心的な機能は教員養成であったと言えよう。 今年度の研究においては、とくに明治期における教育会の発足及び展開過程を中心として研究を進めた。教育会と自由民権運動との関わり、森有礼文部大臣の教育会についての演説(明治22年秋)の教育会の影響、地方教育会の教員養成事業等について検討を深めた。教育会成立時、自由民権運動の高揚期にあたり、教育関係者の中には自由民権運動に加わる者も少なくなかった。しかし、自由党系の運動家が拘束されるなかで、漸進的社会改革を目指す改進党系の人々が教育会を担うことになる。教育を通しての社会の急進的な改革路線は、明治10年代に終焉する。森文部大臣の講演は地方教育会の自治自立的な展開を促すものであったが、講演後間もなく森文部大臣が刺殺されたこともあり、その影響は限定的であった。こうした中で、明治期の地方教育会が積極的に取り組んだのは、教員養成である。いずれの地方においても師範学校卒業者はごく少数であり、慢性的な教員不足に悩まされた。この教員不足を補ったのが地方教育会である。教育会を通じて養成された変則的教員が、第二次世界大戦終了に至るまで、近代日本の小学校教育を支えることになった。
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