第一年度として、まず、当初の計画通り、『曼茶羅都市』(2006年2月)を取りまとめた上での、ヒンドゥー都市の系譜についての補足作業として、"Stupa & Swastika"の刊行(2007年2月)にかなりの時間を割いた。カトマンズ盆地を含めることによって、南アジアについて大きな見通しを得ることができた。一方、全体を見通すべく、基本文献の収集については、中国を中心として行った。 臨地調査は、イスラーム圏についての見通しを得るために、計画より先行する形で、デリー、ラホールをターゲットとした。当初計画では、中国の「店屋」の系譜について予備調査を行う予定であったが、第二年度に向けて、研究者も参加を求められた、国立歴史民俗博物舘の共同研究「東アジア比較建築文化史」が中国を対象として展開されることから、イスラーム圏を先行させることとした。また、タイのホンナンを臨地調査の対象と考えていたが、タイ人留学生を博士後期課程の学生として受け入れることとなったため、これの次年度以降に先送りすることとした。 以上のような経緯から、第一年度の主調査対象として、最終年度に予定していたスラバヤを選定し、研究の大きなまとめを展望することを優先することになった。スラバヤにっいては、4つのカンポンについて、1982年に詳細調査を行っているが、本年度は、そのうち、カンポン・サワプロとカンポン・サワハンの二つについて、同じ方法で調査を行った。四半世紀を経た同じ年の居住地を調査することによって極めてユニークなデータを得ることができた。初年度の大きな成果である。また、最終的なとりまとめを得ることができたことも大きい。
|