南硫黄島は生物種分化の初期過程を解明する上で重要な島であるとともに、有史以来人類の永住記録がなく原生の自然が残る貴重な島である。本研究では2007年6月に南硫黄島自然環境調査を25年ぶりに実施した際、小笠原諸島で適応放散してきたと考えられるシロテツ属やムラサキシキブ属、タブノキ属などの植物群のDNAサンプルを多数収集した。これらの属の植物について、南硫黄島集団に加え、小笠原諸島全域の集団を含めて、マイクロサテライトマーカーによる集団遺伝学的解析を行った結果、いずれの属も、南硫黄島集団の遺伝的多様性は低い傾向が認められた。また南硫黄島集団と他集団の間に形態的な分化は認められなかったが、遺伝的には大きく分化していることが明らかとなった。これらの結果は、南硫黄島が他の島から遠く隔離されていることや、成立年代が非常に新しいため、創始者効果の影響が残っていることによるものと考えられる。またオオバシロテツやオオバシマムラサキ・コブガシのように広域に分布している種は、同じ島内でも遺伝的に分化している群が認められ、生育環境の違い(例えば湿性地と乾燥地)に対応して生育地を分けていることが明らかとなった。 ムラサキシキブ属については、葉緑体DNAの非コード領域や核DNAのITS領域の塩基配列を決定し、これに基づく分子系統樹を構築した。その結果、父島列島や母島列島の乾燥地の集団が系統樹の枝の先に位置し、それ以外の各列島の湿性地の集団(南硫黄島集団を含む)が根元に位置する傾向がみられた。よって、乾燥地に生育する集団は湿性地の祖先集団からそれぞれの環境へ進出・適応した可能性が示唆された。これは、小笠原諸島の乾燥した低木林や矮性型低木林は島の低平化と雲霧帯消失による乾燥化によって比較的最近成立したという仮説と矛盾しない結果であった。
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