モンゴル中部と西部、新疆発見の白樺樹皮に書写されたモンゴル語やモンゴル文字の特徴から、書写時期は17世紀中盤まではさかのぼれる。テキストの多くは仏典、願文、民間信仰テキストである。これはモンゴル各地から出土した16世紀以降の文字資料の傾向に合致している。モンゴル中部・西部・新彊の間で、テキストそのものには顕著な差異は見られなかったが、モンゴル国中部のものにはより南のモンゴル人居住地帯との関連が認められ、モンゴル西部と新彊のものには当地でのトド文字使用状況が反映されている。白樺樹皮のテキストには、『金光明経』『金剛般若経』『八陽経』など著名な仏典や、彼らの生活に関連の深い占い書が目立つが、新彊のオイラド・モンゴル人の間には今でもこれら経典や占い書や祝詞・讃歌のテキストがあった。またフルンブイル地方のブリヤート人やバルガ人の古老もかつては同じような経典があったと証言したことから、白樺樹皮テキストの多くは、古今を通じて人口に膾炙したもの、彼らの生活の密に関係するものであったと考えられる。樹皮出土地点には白樺の密な林はもはや存在せず、モンゴル西部と新彊の出土地点にやせた白樺の疎林があるだけだった。当地ではもはや樹皮を生活に用いていないが、モンゴル国北部のブリヤート人、新彊のトゥバ人やウリャンハ人はいまも白樺樹皮で容器や薬品を作っており、フルンブイル地方のブリヤート人やバルガ人がかつては乳や乳製品・塩などを入れる器、皿、盆、ゆりかごの部品、家畜を呼ぶための笛を作っていた。この地方のダウール族、オロチョン族、エヴェンキ族の少数の古老は土産物として白樺樹皮製の容器をいまも作製している。白樺の木が少なくなり、便利な出来合製品に囲まれた現在、白樺樹皮使用の文化は、生活実用レベルでは急速に衰える傾向にあり、民族の文化や自然を体現した土産物として現金収入を得る中で生存している現状にある。
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