研究概要 |
敗戦後の20年ほどのうちに、アジア系の人々は「白人」市民同様の社会的地位を築いてアメリカ経済のメインストリ-ムにも足場を獲得し、「模範的マイノリティ-」とも称されるようになった。このようなアメリカにおける人種関係や国民意識の変化一特にアジア系アメリカ人を巡る変化一は、なぜ起こったのであろうか。アジア系アメリカ人の「白人化」または「国民化」ともいえるこのプロセスは、変容を続ける合衆国の「人種」、「ジェンダ-」、「ネ-ション」の概念や国際関係とどのように関わっているのであろうか。 このプロジェクトは、戦後アメリカにおける人種関係と国民意識の変化に、環太平洋諸国の男女エリ-ト-社会活動家、知識人、軍人等-の国家を超えた交流がどのように関わってきたかを、トランスナショナルな視座で歴史的手法を用いて明らかにしようとするものである。このプロジェクトが取り扱う時代は1920年代から1945年までの間で、主な研究対象となるのは、当時米国のアジア外交を司る政府関係者がアジア理解に必要な文化的知識や言語能力を有する人材として注目していた英米宣教師とその子孫、アジア系移民とその子孫、更にはこれらの人々と交流を持った日本人、中国人、朝鮮人である。特に、戦間期に研究対象となる人々に交流の場を与えた国際組織-汎太平洋同盟(Pan-Pacific Union,PPU)、太平洋問題調査委員会(Institute of Pacific Relations,IPR)、汎太平洋婦人協会(Pan-Pacific Women's Association,PPWA)-とともに、1930年代から第二次世界大戦中にこのグル-プの人々を活用しようとした米国連邦政府機関-戦時情報局(Office of War Information,OWI)と戦略局(Office of Strategic Services,OSS)-に注目する。そして、これらの国際組織や政府機関を運営した欧米系男女エリ-トとそれに参加したアジア系男女エリ-トの人種観、ジェンダ-観、国民観とその変容を解明し、それが合衆国の人種関係や国民意識、更には外交政策にどのような影響を及ぼしたかを研究する。
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