フランスでは17世紀末から18世紀にかけて、パリの建築アカデミーにおいて標準的な古典主義建築デザインが確立し、それが地方に伝播していった。同時期、フランス行政も中央集権化をすすめ、政治的にも経済的にも地方を支配するようになったのであって、その象徴が「地方長官」制度であった。 この建築の動向と、政治・経済・制度のそれはとうぜん連動しているのであって、地方の拠点都市における都市計画事業は、中央から派遣された建築家と地方長官が二人三脚でなしとげたものであった。 こうした観点から王が派遣した建築家ガブリエルが、ボルドー、レンヌ、ディジョンにおいて地方長官と共同して、いかに官庁建築、広場などを建設し、地方の政治勢力といかなる葛藤を克服して実現していったか、その具体的局面を明らかにすることで、古典主義の伝播という建築上の現象が、いかなる背景のうえになりたっていたかを明らかにする。 このことによって古典主義建築を成立させた社会的背景を明らかにするとともに、リージョンの時代において地方の自律性のもとに都市計画が展開される現代を再考する足場として、中央と地方の相克の時代であった18世紀前半を再評価することを目的とする。
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