動物闘技とストリート・フットボールに対するイギリス議会の動向が変化したのは1830年以降のことであった。1832年法案は成立にはいたらなかったものの、当初から動物闘技の違法性を明確に規定しようとして提出されたものだった。同年の下院特別委員会による調査報告書は動物闘技の違法性に関する現行法上の不備を指摘した。また、翌年に成立する1833年法第29条は、初めて「(首都における)動物闘技」の違法性を認めたが、その根拠は「風紀素乱」であった。その結果、1835年法は、1833年法第29条の規定に「動物虐待」、「迷惑行為」、「生活妨害」という3つの新たな違法性の根拠を追加したが、「生活妨害罪」はコモン・ローの罪状であった。したがって、1835年法はそれまで慣習法によって示されてきた動物闘技の違法性を制定法に基づく「動物虐待罪」の適用範囲を拡大することで明確に規定し直すものだったのであり、同法を通じてイギリス議会は動物スポーツを合法化するための法的な条件を提示した。 それは当該スポーツから、上記4つの違法性の根拠を払拭すること、そして動物の福祉への配慮であった。これに対し、イングランドの公道に関する法を統合し修正するための法案が初めて提出されたのは1831年のことであった。公道での特定のスポーツ活動を禁止する規定は1822年の有料道路法第121条に基づき、その適用範囲を公道にも広げるかたちで成立した。そのため、1831年法案はコモン・ロー上の「生活妨害罪」を根拠に、公道での「牛掛け、牛追い、フットボール、テニス、ファイヴズ、クリケット、その他のゲーム」を禁止するものだったが、1833年の下院特別委員会は「フットボール、テニス、ファイヴズ、クリケットその他のゲーム」という文言の削除を求めた。その後、「フットボールないしはその他のゲーム」という文言が法案に追加されたが、それは1835年議会における上院特別委員会によるものであった。こうして、議会は1835法第72条を通して公道におけるスポーツ活動の合法性が認められるための一定の条件を提示した。それは公道の通行権を維持するために生活妨害に該当する要素を払拭することであった。しかしながら、1835年法第72条は当初の複数の規定案から「テニス、ファイヴズ、クリケット」を削除した結果、公道でのスポーツ全般に対する「法的規制」としては限定的な内容としたのである。同時代の議会文書を検討した結果、ストリート・ゲームに対する統制の内容が1831年から1835年の議会審議の問に大きく変化し、その内容はすぐれて政治的な判断により決せられたものだったことが明らかとなった。その結果、1835年法第72条は公道での「テニス、ファイヴズ、クリケット」の近代化に猶予を与えたのである。
|