本研究は、日本における家政学教育の展開とそれに伴う専門職意識の形成過程を明らかにすることを目的としている。今年度は、日本で最も早く女子中等教員の養成機関として設立された東京女子高等師範学校において、明治期における家政学教育の導入・展開過程とそうした家政学教育を学んだ同校卒業生の社会的言説等をもとに、その専門職意識について検討した。 研究過程において、同校家事科の卒業生で、のちに文部省教科調査官として活躍する鹿内瑞子氏の旧蔵資料1139点が国立教育政策研究所に移管され、平成18年5月から同教育図書館で公開されたことを知った。同教育図書館での調査の結果、これらの資料は、本研究を遂行する上で格好の資料であることがわかった。そこで、研究計画を一部変更し、本来平成19・20年度に実施予定であった東京女高師家事科卒業生である鹿内瑞子氏に関する資料収集と検討をあわせて行った。 鹿内(旧姓:中島)瑞子氏(1915-1981)は1937年束京女高師家事科を卒業、1941年同研究科(日本教育史専攻)修了、同校教育室勤務等を経て、1947年から1976年までの約30年間、小学校家庭科を中心とする教育課程行政に従事した人物である。本年度は鹿内瑞子旧蔵資料中、昭和20年代・30年代までの小学校家庭科に関連する資料を複写により入手した。このうち、昭和20年代の資料によると、戦後の小学校家庭科の発足期に、家庭科存続を求める女性教員からの要望書が文部省宛に提出されており、その中には家庭科教育の本質に関する言及がみられた。鹿内氏は、こうした家庭科教育の本質をふまえながら小学校家庭科の発足に積極的に関わり、リーダーシップを発揮した。
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