明治初期日本において、医療関係者および一般庶民の間にあった多様な人体像が、西洋医学の教える「正しい」人体像へと整えられていく過程について、2つの側面から研究を進めた。 第1の側面として、医学専門教育において、西欧から人体解剖模型が導入されて国内で模倣製作され、医学専門教育の場で中心的な役割を果たしていく過程を歴史的にあとづけた。 第2の側面として、初等教育において、明治5年に『学制』が出され.人体に関する教育が科目として整えられていく過程の中で、明治10年までの間に、啓蒙的教科書の中の人体像、人体観がどのように変貌していくかの研究を進めた。 第1の側面に関する研究は、これまでほとんど行われていず、研究の結果得られた新しい知見を、平成18年度、平成19年度の日本医史学会総会・学術大会で発表した他、北里大学で行われた日本解剖学会学術総会、長崎大学で行われた西洋医学教育発祥150年記念国際医学史科学史会議(International Historical Conference:150^th Anniversary of the Beginning of Modern Western-Style Medical Education in Japan)で発表を行い、それぞれ成果としてまとめた。 また、第2の側面に関しては、研究の結果、明治初頭の庶民の間の多様な人体像に関して、新しい知見が得られたが、この点に関して今後、第1の側面と合わせて、さらに研究を継続していく予定である。
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