戦時期日本のアジアにおける科学研究の国際協力について検討するため、上海自然科学研究所の活動を中心として調査を行った。特に岡田家武、合田史郎による微量元素、微量化合物の地球化学的研究と、速水頒一郎、東中秀雄の地球物理学的研究について詳しく分析した。 上海自然科学研究所は、日中関係が政治的・外交的手段の手詰まりを迎えた1920年代後半に、外務省が学問や文化は超政治的であるとして企画し、純粋科学を中心に研究する研究所として発足した。確かに、岡田は中国人研究者の張定、と地球化学の試料採集などで協力し、また、国民党に近い、懇意の中国人の知人を頼って中国各地の調査を行ったのだが、戦時期の国際協力はその程度であった。合田史郎はほとんど研究所から出ず、中国人研究者とのめだった協力関係は無かった。 地球物理学の速水頌一郎、東中秀雄も同様に、日本に留学したのちに上海自然科学研究所に赴任した研究者以外の中国人とは実りある研究交流はできなかった。戦時期、敵対する国同士では、学問は政治を超越するという外務省の思惑とはうらはらに、研究者同士であれ、良好な関係を持つのは困難であった。 一方、イギリスのジョセフ・ニーダムは戦時期、中国人研究者に対し、科学的協力を行っている。そして、ニーダムのマニュスクリプトを調査したところ、戦後すぐ、ニーダムは日本が占領していた各研究所の接収状況を本国に報告しており、上海自然科学研究所についても実見した様子を伝える文書があることを発見できた。
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