奥日光地域を対象に1952年以降の土地被覆区分、気象や植生に関する自然環境に関する情報、周辺市町村の人口推移や道路建設等を含めた社会生活基盤に関する情報、国立公園への入園者数、狩猟頭数などの情報を収集し、対象ランドスケープの変動を分析した。社会経済情報を含め収集情報が多岐に及ぶので解析は未了だが、湿原面積の変化とその要因を中心に取りまとめた。ラムサール条約登録湿地となった2005年時点の奥日光湿原面積は260.1haである。本研究で得た土地被覆区分では、1952年の244haから、2000年には144haに減少した。ある程度まで湿原面積が縮小すると、乾燥化が加速して早期に(今世紀末)湿原が消失する可能性もある。その原因として地球温暖化等による乾燥化の進行を危惧する論調の報告もあるが、気象データからはそうした傾向は認められない。ただ、降水パターンは1960年代以降特徴的な傾向があった。年降水量は2200mm前後で推移するが、日最大降水量は増加傾向にあり、10年ごとに300〜500mmを記録する年が出現した。戦場ヶ原および小田代ヶ原は湯川を中心とする集水域にあり、その集水面積51km2および年平均降水量2248mから湯川の平均流量を推定すると1.3m3/sとなる。しかし日降水量から類推すると流量はその数十倍に及ぶこともあり、短時間雨量の増加は上流あるいは上部山地から湿原域への土砂供給を促進するであろう。特に小田代ヶ原の上部では、1950年代から1960年代にかけて40ha以上の皆伐の後、10年以上に及ぶ放置状態が継続していたことが小田代ヶ原の急減に影響したと考えられる。奥日光での戦後の農地開拓、カラマツ植林、道路整備等は湿原の消長に直接関与するとは考えにくいが、それに付随して設置された排水溝は湿原減少に少なからず影響したであろう。
|