研究概要 |
知識の基礎づけという問題について、プラトン、アリストテレス、ストア派、エピクロス派、懐疑派を比較するとき、ヘレニズム哲学以前には、どちらかと言えば理性の力が重視されていたのに対して、ヘレニズム哲学においては、感覚経験からの出発が重んじられた。それだけではなく表象(イメージ)の世界が重視されるようになった。この最後に述べた事実が、19年度の研究の過程で非常に重要なポイントとして浮上した。それとともに私自身の研究の幅も、たんに認識論的な問題から、感情と知の関わり、普遍の存在、探求における「例(example)」の使用、そしてヘレニズム時代以前の幸福観(幸福とは「善く行なうこと」)と、ヘレニズム時代以降の幸福観(幸福とは「無動揺(アタラクシアー)」)の相違にまで広がることになった。 具体的活動としては、セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』のうちの「自然学者たちへの論駁』と「倫理学者たちへの論駁」の翻訳を進めた。また、G.E.R. Lloyd, Ancient Worlds, Modern Reflections, Oxfbrd, 2004の翻訳も進めたが、これは「普遍の存在」や「例の使用」について考察を深めるきっかけになった。 さらに、プリンストン大学のChristian Wildberg教授、カリフォルニア大学バークリー校のG.R.F. Ferrari教授との交流を通して、イメージの世界が認識論的に、また広く哲学においてもつ意味について大きな手がかりを与えられた。イメージを通しての把握ということは、神と非理性的動物の間で人間をどこに位置づけるかという問題、さらには、人間がどこまでこの自然界の摂理を確信できるか、という問題とも密接に関わる事柄であり、これからの研究の大きなテーマを示されたと思っている。
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