世親によって体系化された「五念門」の行法は、それを継承した曇鸞によって「往相二廻向」のもとに、さらに入念な菩薩道として継承されるにいたったが、そのさらなる思想史的な背景には龍樹の"「難行」対「易行」"という大乗菩薩道にかんする法理解がひかえていた。本年度はこの「難易二行」をめぐる論点を究明し、親鸞に対して龍樹のもつ思想史的意義を解明した。 曇鸞は龍樹の理解をふまえた上で「難易二行道」を示し、阿弥陀仏の誓願力を強調したが、「難行」に対する姿勢においては、龍樹とは少なからず差異が窺われた。すなわち、龍樹にあっては、本来の菩薩行としての「難行」が厳しい「利他」道であるために、その徹底が難しく、いつしか「自利」へと閉塞し、やがては「二乗」へと顛落しゆくありようが「菩薩の死」とされていたのに対して、曇鸞はこうした「難行」の内実や志向性にかんする論議を欠落させたままに-「五濁の世」ゆえの現象として-その達成の困難がみとられていた。曇鸞において「難易」とはあくまでも行法の達成可能性のレベルにおけるものであり、それゆえ世親の行法を「易行」として受けとめることができたのである。 世親の「玉念門』であれ、曇鸞の「往還二廻向」であれ、そもそもが「願生」の菩薩に行法として求められていたのであったが、そのいずれもが阿弥陀仏の功徳力によって可能になるという「他力廻向」を説いた親鸞にあっては「願生」の菩薩たることそのものへの断念があった。したがって、この「他力廻向」観の背景には、まさしく龍樹が懼れた意味における-「願生」という事態に纏綿せざるをえない-「自利」への顛落がみとられていたのである。龍樹が憶念という形での「念仏三昧」を説いたことの意味はここにある。すなわち、「五念門」といった具体的な法体系を展開すれば、そこには必ず「自力」の要素がつきまとわざるをえないからである。その意味で親鸞が龍樹から継承した「念仏」および「易行」の思想は、その「他力」思想を徹底化せしめるうえできわめて重要な役割をになっていることを論証した。
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