18世紀の哲学者ディヴィッド・ヒュームは、グロティウス、ホッブズ、プーフェンドルフ、ロック、ハチソンらが形成した近代自然法学の伝統をラディカルに変容させた。ヒュームは、正義と所有権の起源を人間の本性と財の状況に関連づけて説明し、さらに正義や所有権の尊重に伴う道徳的是認や称賛についても説明するが、その際に、神に言及したり論証に訴えることはしない。ヒュームは、もっぱら諸個人が経験する快や、自己利益や共通利益の感覚に訴える。このラディカルな変容は、ヒュームの一貫した経験主義と自然主義、さらには快と利益を重視するエピクロス主義によって可能になった。ヒュームの理論は、正義と所有権、および随伴する義務の感覚から一切の神秘性を剥ぎ取り、これらを経験可能な快と利益感覚によって説明しなおすがゆえに、大きな理論的意義をもつ。それはまた、ベンサムの功利主義を準備したがゆえに歴史的意義をもつ。しかし他方で、ヒュームによる近代自然法学の変容は、正義概念をラディカルに縮小化し、自然法学の伝統に埋め込まれていた人間の尊厳という価値を、正義の領域の外へと追放したものであった。
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