平成二十一年度は、ヒュームの認識論の道徳哲学的意義について研究を行った。二つの主題について一件の学術講演を行い、二本の論文を公刊した。第一の論文(『ヒュームのシンパシー論:人間的自然の原理としての』)は、国際基督教大学キリスト教と文化研究所主催の学術講演会で口頭発表し、国際基督教大学『人文科学研究』に論文として発表した。そこではヒュームのシンパシー論が単なる感情移入についての議論ではなく、情緒についての一般的認識の形成の説明であることを、認識論における一般観念論との関連において指摘した。またシンパシー論がヒュームによる社会契約説批判の根本的な原理であり、かつ社交的世界としての共同体の形成理論となっていることを論じた。そしてシンパシー論がヒュームの認識論と道徳論をつなぐ役割を示すことができた。第二の論文(『ヒュームにおける道徳の理由:狡猾な悪人をめぐって』)では、ヒュームの認識論一般と道徳論の関係、とりわけ正義の遵守と道徳性の関連を明確にした。この論文は四年間の科学研究費による研究の総括にもあたる。従来ヒュームの正義論は自己利益に基づくとされ、道徳規則を遵守しなければならない理由がヒュームの理論には見いだせないとされてきた。しかし私は、こうしたヒューム理解は彼の道徳哲学についての根本的誤解に基づくものであることを示した。私はヒュームの認識論が習慣に基づく信念の必然性を示す理論であることに、道徳の拘束性の理論としての意義を見出し、それをテキストに基づき具体的に分析した。自然法則の人間的本質は、自然法則が世界の事象についての心理的必然性として認識される点にある。私は道徳の本質もこれと同様の必然性にあることを示し、ヒュームの自然主義的道徳論の認識論的基礎を体系的な観点から明らかにした。この成果によって、ヒューム研究の立場から知識と実践の関係に関する研究に貢献することができたと考える。
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