教祖となる人々に一般的に見られるパターンでは、疾病や家族との葛藤など孤独な苦悩の中で宗教体験をし、それによって獲得したカリスマ性を発揮することによって、自らの使命を自覚し、人々の救済に専念するようになる。教祖から直接教えを受け救われた人々は、教祖を中心に信仰共同体を形成する。教祖の死によってその共同体は最大の危機に瀕するが、すぐに消滅してしまうわけではない。共同体が存続し続けるかどうかは、実は、教祖を直接知らない信仰の第二・第三世代に教祖への求心性をうまく継承できるかどうかにかかっている。そのために教団としての取り組みが不可欠となる。 その取り組みは、大きく二つの方向をとる。一つは、教祖の卓越性・超越性を強調することによって救済者としての教祖像を打ち出す「教祖の神格化」の方向であり、もう一つは、さまざまな不幸の中で救いの道を求め続けた求道者としての教祖像を描き出す「教祖の人間化」の方向である。神格化された教祖は崇拝の対象となり、人間化された教祖は救いの範例(モデル)となるが、新宗教教団はこの両者が矛盾なく共存する教祖像を生み出すことで信仰共同体としての存続を図ろうとする。そこにおいて教祖伝は決定的に重要な意味をもってくるのである。 かかる予備的考察から、研究の初年度は金光教を事例として、太平洋戦争終戦までの時期を中心に、その教祖伝群の歴史的背景を追うと同時に、個々の教祖伝の内容に反映された信仰の在り方について考察を加えた。
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