本研究の目的のひとつには詔勅の文体分析があるが、それに先立って明治時代の公用文の変遷をとりあげ、同時代の人々自身が文体の変化をどのようにとらえていたかを見定める必要があった。論文「「放縦不法」から「妖魔文章」へ」では、矢野文雄と福地源一郎という明治を代表するジャーナリストの文章論をとりあげ、時代認識が文章意識にどのように反映していたかを明らかにした。この視点を言語意識全体に広げたものに、論文「「国語」ということばの新しさ」がある。そこでは、明治時代になって「国語」という概念がどの程度新しいものとして受けとられたかを明らかにした。こうした作業を基礎にして、2007年1月12日から15日にかけてハワイ大学で開催された第五回人文学国際会議において、「日本の近代国家形成における詔勅の役割」(英語)という発表をおこなった。そこでは、詔勅は天皇から「臣民」への呼びかけという形式をとる以上、典型的な言語行為として把握することができること、その一方、詔勅の発せられる場所、テーマ、受信者にしたがって文体と語彙にも変異が生じていることを確認した。そして、「爾臣民」という呼びかけの形式が生まれた過程をたどることで、詔勅による「呼びかけ」と「呼応」の関係性が国民形成に果たした役割を分析した。その会議では国際的に活躍する日本学者も多く参加しており、数々の貴重なコメントを頂くことができた。現在、この発表をもとにした論文を計画中であり、2008年度にはアメリカのアジア学会で報告を予定している。論文「ひとが「文化」に直面するとき」は、こうした研究から生まれた副産物であるともいえ、「文化」という制度がそこに属さない他者にとっては暴力として作用する可能性があるという観点から、現代日本の文化状況を論じた。
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