本年度は四年に及ぶ研究計画の最終年度にあたるため過去三年間の現地調査および文献調査の過程で問題として精査を必要とする事項について再度済南に現地調査をおこなった。特に前年度の済南の現地調査において山東学派の伝統を継承する楊宝泉アホンとのイソタビュウーに成功したので、そのインタビュウーの中で不明であった諸点を明らかにし、さらに確認するために本年も楊宝泉アホンとインタビュウーをした。しかし、昨年のインタビュウーの後に楊宝泉アホンが転倒したために運動量が減り記憶力も体力も急速に衰弱したために、今回はインタビュウーの目的を十分に達成することはできなかった。楊宝泉アホンは山東学派の学統を現代にまで伝える最後の人であるが、相当に耄碌が進んでいるのを見て、山東学派もこれで終焉を迎えたという感を深くした。ただし、山東学派の経堂教育ではペルシャ語のテクストの学習を「道学」の学習と呼んでいたことは確認できた。山東学派の経堂教育がスーフィー思想に強く影響され、いわゆる「道乗」の学を重視し、真人の境に到達することを目指していたことを明らかにできた。「道学」と呼ばれるペルシャ語スーフィー倫理書は『ゴレスターン』、『ミルサード・ル・イバード』、『アシアトッラマアート』の三書にかぎらず、『インサーン・カーミル』、『ラワーエフ』、『タズキラト・ル・オウリヤー』なども「道学」のテクストとして学習されていたことが、かつて楊宝泉アホンが在住した石家村清真寺のペルシャ語蔵書の結果、明らかである。山東学派が「道学」に重点をおいたことは済南清真南大寺の石碑「来復銘」にもすでにその傾向が現れていることを続み取ることができる。山東学派の中心地済南市は二十世紀になり経堂教育の改革運動成達師範学校派が起こったところでもある。このため伝統的な山東学派の伝統が二十世紀中ごろから消滅しはじめた場所でもある。こうした自己改革運動に加えて共産主義中国が成立後には山東地方のイスラームが迫害された。王英麒は済南のイスラーム教徒の長老として自らの共産主義による迫害の経験をインタビュウーで語ってくれた。これら山東省イスラーム教徒の長老たらのインタビュウーと済南清真南大寺の「来復銘」の分析結果を研究成果報告書『中国イスラーム思想の研究』として印刷した。
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