本研究では、中井履軒の暦法・時法と解剖学とを明らかにした。 まず、暦法・時法については、履軒の『華胥国暦』の特徴を、彼の時法に関する考えもあわせ述べることにより明らかにした。履軒は、月を排して春夏秋冬だけを立てたラジカルな太陽暦を作り、また時法(時刻法)については、不定時法を廃し、百刻法に基づく定時法を提唱した。筆者はその形成の過程を、『華胥国暦書』『華胥国新暦』という二つの暦を比較し違いを明らかにすることで検証した。中井履軒は自然は人事と無関係だとし、人間が作った数字で、自然を辻褄合わせすることに反対した。これは直接的には中国の象数論に対する批判であるが、西洋でコペルニクスらが神の創造物である自然に数学的美を求めたのとも対照を成す。一方、人事に関しては、履軒は利便性を追求し、できるだけ単純でわかりやすい数字を求めた。彼の暦法と時法とはその典型例だと言える。 次に、解剖学については、近年発見された草稿『越俎載筆』などと比べることにより、『越俎弄筆』の特徴を明らかにした。特に、脈に対する興味が全体を通底する関心であることを明らかにした。全身に脈が行き渡っている様は、ちょうどへちまの繊維のようであろうと述べていることは、顕微鏡を目にし、ミクロとマクロの視点を有していた履軒ならではの発言であると言える。
|