18年度は、資料調査、収集を中心にして研究を進めた。実地調査は、5月14日・15日に香川県の善通寺、9月26日〜29日に和歌山県の高野山大学図書館・高野山霊宝館にて行った。善通寺には、江戸時代中期の天野社舞楽曼荼羅供の式次第の写本が伝来しており、天野社で行われた舞楽曼荼羅供を参考にして、善通寺の舞楽曼荼羅供を厳修したことが知られる。今回は、その関連資料の収集を行った。高野山大学図書館では、天野社舞楽曼荼羅供に直に関わる文献資料は5点に止まったが、15世紀の天野社舞楽の再興に深く関係すると考えられる、永享7年に成雄阿闍梨の行った越中集福寺の舞楽曼荼羅供の記録を発見したのは最大の収穫であった。成雄は、南山教学の確立に大きな足跡を残した学僧で、成雄の行った舞楽曼荼羅供の記録は「成雄記」として伝来し、江戸時代の天野社舞楽曼荼羅供の際にも参考にされたものである。また集福寺は室町期の寺院そのものの実態すら不明で、そこで大規模な舞楽曼荼羅供が行われたことは、現在ではまったく忘却されている。当該史料は演目はもとより出仕者まで詳細に記されており、当該時期の地方の寺院における舞楽法要の具体例としても意義深いものといえる。その他、高野山大学図書館では関連資料を含めて40余点を収集した。高野山霊宝館では、昨年度の予備調査で判明している江戸期の天野社舞楽曼荼羅供荘厳図の撮影を行った。その他、7月1日には、東洋音楽学会第27回東日本支部定例研究会(於東京学芸大学)で、「高野山天野社の舞楽について」と題して、「天野社で行われた舞楽の概略」「四つの本殿に描かれた舞絵について」「江戸期に行われた天野社舞楽曼荼羅供の構成と関連資料について」の三部に分けて調査報告を含む研究発表を行った。その中で、天野社の舞楽の歴史を三期に区分する新見解を示した。
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