本年度は金刀比羅宮所蔵美術品の全般的傾向の分析を主体に、その中における個々の作品や画人の位置づけについて探る研究を行った。筆者は、平成14年度から平成16年度にかけて金刀比羅宮からの依頼により、同宮所蔵の美術品のかなりの部分を調査する機会を得たが、本年度においては、その成果をさらに精緻に分析することから出発して、改めて金刀比羅宮美術の江戸時代絵画史における位置づけのあり方を考究した。 金刀比羅宮は、現在、海の神様のこんぴらさんとして広く親しまれている。しかし、金刀比羅宮の歴史をひも解いてみると、江戸初期の時点では海の神としてよりも山の神としての性格が強かったことが分かった。こうした金刀比羅宮の性格の変化に応じて、奉納される美術品の傾向にも変化が生じていることが分かった為、個々の美術品の制作事情について考察を深めた。この視点からは、特に江戸初期の狩野派が注目され、近世初期には、幕末とは異なり、金刀比羅宮が京都の権威よりも江戸の権威との結びつきが深かったことが分かった。このことが一つの成果である。 江戸後期には天皇家の勅願所となったこととも相俟って、京都の権威との結びつきを深め、京都画人との関係を深めていたことは現在残る美術品からも明らかであるが、本年度の探求では、幕末に金刀比羅宮の御用絵師となった円山派系の森寛斎に関係する資料の存在を見出すことができた。その内容の分析については今後の課題であるが、本年度においても鋭意調査を進行させた。 以上のように、当初幕末の事情のみから想定されていたのとは異なって、金刀比羅宮美術の特質の解明の為には京都画人のみならず、江戸画人についても視野に入れておく必要のあることが判明した。来年度以降は、京都画人を中心にすることには変わりが無いが、より幅広く江戸時代絵画史を視野に入れて研究を進めてゆきたい。
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