研究概要 |
本研究では,イタリアの画家アルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1653)の近代における評価の歴史を検証し,彼女が1970年代に「フェミニズム美術史のイコン」となっていく過程を検討することにより,フェミニズム美術史が女性芸術家を神話化する構造を考察した。 19世紀中頃から出現する女性芸術家だけを扱った文献の中でアルテミジアがどのように語られたかを分析し,(1)肖像画家として優れている,(2)肖像画では,歴史画家とされる父より優れていた,(3)華麗な恋愛遍歴で知られている,という3つの定型を抽出した.さらに,これらの定型について,その起源を探るとともに,最新の研究に照らし合わせ事実検証をおこなった。その結果,ほとんどの執筆者がほぼ同一の文献を参照したためアルテミジアを肖像画家としたこと,それは事実とは異なるが,女性画家であったために歴史画家という認識をされなかったことを明らかにした. アルテミジアは,19世紀には絵画としてランクの低い肖像画家として認識されたため「偉大な女性芸術家」の候補にさえ加えられなかった.しかし,20世紀前半のバロック芸術の再評価の流れを受けて,カラヴァッジョの系譜に連なる歴史画家として評価されるようになる.その結果,70年代には,男性芸術家に劣らない女性の「偉大な芸術家」を求めるフェミニズム美術史によって注目され,80年代以降は単独の研究書も次々と発表されるようになる.だがその反面,フェミニズム美術史はアルテミジアを「偉大な芸術家」に最も近い存在として祭り上げ,「フェミニズム美術史のイコン」と呼ばれるような位置づけをすることで,新たな神話を作り上げてもいる.1970年代に問題となったのは,「偉大な芸術家」を生み出す規範の構造だったはずだが,フェミニズム美術史はアルテミジアを「イコン」とすることで,また別の女性芸術家の神話をつくりだしたのだった.
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