本研究の目的は、日本近世の人々は絵画作品の何に注目し、それをどのように鑑定していたかを問う絵画鑑定のあり方の解明、また、作品をどのような基準に基づいて、どんな風に評価していたかを分析する評価の様相の探求、そして、当時、絵画作品は具体的にはどのような価格で流通していたかを明らかにする価格把握の局面から、日本近世において絵画は如何なる価値を持つものとして認識されていたかを問い、日本近世の絵画観を明確にすることにある。 そこで、今年度の前半においては、まず比較の対象として中世での実態を求めて、室町時代の基本的な史料である『蔭涼軒日録』を分析した。そのことによって実際に行われていた鑑定のあり方、評価の様相、座敷の飾り方や絵画の価格などを読みとった。 後半においては、桃山時代を代表する画家長谷川等伯の作風展開は、明らかに中世からの離脱であり、近世の到来を物語るものであることを確認した上で、彼が京都本法寺の日通上人に語った事柄をまとめた『等伯画説』の分析を行った。その結果、画風展開とはことなり等伯は未だ中世的な絵画のあり方を良しとしていることが確認できた。それは雪舟の弟子である等春の存在を高く意識したことに基づくものということができる。そして、こうした中世的な絵画のあり方を高く評価することが、当時の茶会の席でもてはやされた玉澗への尊重とは異なって、未だ牧谿を慕うことになったと考えられる。しかし、その牧谿への評価も中世とは異なり、技術的な観点からなされたものであることが知られる。宗達にも共通する近世的な技法優先の絵画観を『等伯画説』に確認できたのである。
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