本研究は、人形浄瑠璃において人形表現の根本をなすうなづき構造の成立の問題を解き明かそうとするものである。現在の人形浄瑠璃は、たいへん写実的で繊細な人形表現を完成させたが、この人形表現で重要な役割を果たすのが引栓式といううなづき形式である。引栓式の高度な人形表現は人形浄瑠璃発生時から存在したわけではない。かしらのうなづき形式が、傷歯棒式から小猿式へ、小猿式から引栓式へという発展過程を経て、現在の芸術的な人形表現が完成したのである。では、一人遣い以前、人形戯発生時のかしらのうなづき構造には、どのような意味があったのだろうか。また人形表現上重要な意味を持つうなづき構造は、日本人の発想か、それとも大陸伝来の考え方によるものか。この問題を解決するために、まず民俗行事の人形戯や一人遣い人形など三人遣い以前の人形、及び大陸伝来といわれる糸操り人形や串人形、指人形などの三人遣い以外の人形の調査・記録・基礎データ収集を行い、それをもとに考察していく。今年度は、民俗行事の中の人形戯としては茨城県つくばみらい市の小張松下流綱火、滋賀県大津祭の山車人形の映像記録を行った。更に、引栓式とブラリ式に関して、実際の遣い手の方(引栓式-人形浄瑠璃文楽の人形遣いの方、ブラリ式-徳島県の勝浦座の座員の方)に人形の構えやうなづき操作に関する聞取調査と写真撮影を行うとともに、勝浦座の3演目について映像記録も行い、資料を収集した。研究成果としては平成19年7月昭和女子大学文化史学会のシンポジウム「芸能における中央と地方」において「文楽と地方の人形芝居」という題で報告した。更に本課題のもとにある三人遣いかしらのうなづき構造の発展過程に関する研究の成果として、博士論文『人形浄瑠璃の発生と展開に関する研究-各地の人形浄瑠璃のかしらを資料として-』をまとめた。
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