本年度は前回取得した研究費による調査時から注目していた柳川古文書館蔵安東家史料のうち「英山様江言上之写」二種とその関連資料の調査が中心となった。元禄十三(1700)年刊『九州記』は従来全く省みられない軍書であるが、京都本屋仲間の「禁書」扱いとなっている。柳河藩三代藩主立花鑑虎に宛てた当該史料は、その絶版理由を推測し、著者・蔵版元を知り得る貴重な文書である。年次の特定は困難だが、本書は刊行後まもなく、柳河藩からのクレームにより絶版処分となったと見られる。柳河藩側が不満を抱いた理由も明記されているわけではないが、文中「鍋島家」「肥前」なる語が見られる点から、巻十八の柳川合戦前後の記述に誤解と偏向があるとの判断であろうと推測した。この合戦については一次史料に乏しく特にその発端について不明な部分が少なくない。いずれにせよ関ヶ原合戦の戦後処理の一環と見なされ、柳川城主立花宗茂が城を明け渡す原因となった以上、後に復帰したとはいえ柳河藩側として不本意な点が多々あった合戦であることは事実である。そうした描写が公になることに藩士たち(従軍者の孫、曾孫に当たる世代と推測)が不満を持ったことは確かであろう。『九州記』著者・校正者の春龍・性天についてもみやま市教育委員会の紹介で二尊寺現住職と知己を得、伝記が判明した。絶版後も一部覆刻を含む本が現存するなど、相応のニーズがあった作であろう。『九州記』に代替する軍書『戸次軍談』が『九州諸将軍記』と改題・改竄されたことも従来ない指摘である。当該史料には『九州記』以外の絶版書に触れる箇所があり、宇都宮遯庵著で絶版となった『日本人物史』の諸本を調査したところ、版元名の削除、覆刻版の存在や入木訂正箇所が判明したので研究会にて口頭発表し、拙稿注に反映させた。
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