本研究は、近世以降現在までの東海地方の俳諧資料を収集し整理して、その特徴を明らかにすることを目的としている。そこで、当初の研究実施計画に従い、次のことを行った。 1、個人所蔵の資料の撮影・複写につとめた。 2、前年度に続き、名古屋市蓬左文庫所蔵雑賀文庫で、尾張狂歌の影響関係を視野に入れて、俳諧関係者の狂歌資料の収集につとめた。 3、瀬戸市立図書館の郷土資料から俳諧関係者に関する資料の収集につとめた。 4、遊戯的な雑俳を含む資料紹介・翻刻が少ないので、次の1点を翻刻紹介した。 (1)翻刻『狂俳道しるべ』初編とその紹介(二)(「社会とマネジメント」6巻1号2008年9月) 5、収集した資料群の中から、特に次の3点を論じた。 (1)明治期の俳文芸意識の魁-東京「清警冠句」と狂俳-(「東海近世」18 2009年2月採択)明治20年頃、文明開化の風潮を強く意識した「清警冠句」は、子規が「俳諧大要」で述べる以前から月並風を否定し、新時代にふさわしい冠句を目指したことと、東海地方の狂俳壇との関わりを論じた。また、機関誌「桑弧集」初編跋文に、当時の詩人や歌人、俳諧師、川柳点者らに対する意識が窺え、興味深いものであった。 (2)東京桑弧社のめざした「清警冠句」(「社会とマネジメント」6-2 2009年3月) 末尾に「作例一斑」を翻刻紹介した。 (3)名古屋『雅風教会規約』にみる教導職制度の影響(「椙山国文学」33 2009年3月) 末尾に『雅風教会規約』を翻刻紹介した。
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