最大の成果は、生田秀にかかわることで、九月に佐渡島を訪問し、山本修巳氏にお会いし氏の御好意により、生田家の墓参、菩提寺妙満寺での過去帳拝見、秀の通った小学校に保存されている写真や山本家に伝わる関連資料を拝見することができたことである。山本氏は、早速1月に刊行された『佐渡ジャーナル』で「日本近代ビールの父真野町出身生田秀」の一文を著され、私の名前も紹介してくださっている。これをきっかけに御子孫の吹田在住の生田秀昭氏宅を再訪問し、吹田の菩提寺観音寺をお参りすることができた。これらの成果は目下、作成追い込み中の『生田文庫新蔵書并解題(仮称)』として公にすることができるであろう。 大蔵弥右衛門家については、正月の春日社御祈祷始式に呼ばれ、春日大社と狂言大蔵家の深いかかわりを確認し得た。花山院宮司にお会いし、八月八日の世阿弥忌セミナーの開催をお願いできたのは望外であった。また、奈良市内の弥太郎家を初めて訪問し、厚遇を得た。 吉田東伍記念館を訪れることができたのも、まさに世阿弥伝書発見百年の年に能楽研究の全体像をつかめたこととなる。実は、新生田本とは無縁ではなく、書簡には世阿弥十六部集等を失った安田善之助に蔵書を贈っている一通が残っている。 なお、中高生向けの「ひらめき☆ときめきサイエンス」の成果を『笑いの科学』創刊号に記載することもできた。
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