以下の実績をなした。要旨を記す。 (1)口述発表「賦光源氏物語詩」について」(十五回 和漢比較文学会大会、同志社女子大学、十八年九月二十四日) 正応四年(一二九二)八月に成立した『賦光源氏物語詩』は『源氏物語』の五十四巻と作者紫式部を題材にして律詩を賦した漢詩集である。本作品に巻名が織り込まれる傾向にあるのは、題詠詩における題の意識に加えて、『源氏物語』和歌の巻名を織り込むという手法の流れを汲んでいると考えられる。その表現は『源氏物語』巻々の具体的なくだりに即しているものの、必ずしもその八句に巻の趣旨を効率的に網羅しておらず、かえって漢詩の雰囲気を醸し出すためや、律詩の形式を成立させるための苦心を滲み出ている。それが高じて依拠した原典の表現にまで遡って利用している。それは、古注釈に記されるような知識と同種のものである。このことから、本作品は、古注釈と同様の意識によって構成されたことが確認される。特に巻の異名と巻数さには「並び」の表記から、『源氏詩』の巻意識は『紫明抄』に近く、『源氏物語』本文からも、やはり河内本系本文と合致することが確認される。つまり、『源氏詩』は河内本系統の本を使用し、さらに河内家の源氏学をもっている人物によって製作されたと考えられるのである。ただし『源氏詩』作者が『源氏物語』を実録に比すことが、『源氏物語』の時代考証を史実のなかで明らかに使用とする「准拠」の概念に通じることを考えると、その作者像は、『紫明抄』の編者素寂のような仏徒ではない武家か官人であったと推測されるのである。 (2)論文発表「二世紀に至る詩歌論の展開-格式から詩話へ-」(中央大学国文)50号、2007年3月) 中国唐から宋代への詩論書と、日本古代から院政期への詩歌論書は、格式から詩話という点においてその推移を同じくすると考えられる。このような流れを見ると、やはり唐末五代宋に至って意識された題詠論は、日本の詩論および歌論とも通じることが理解されるのである。格式を論じた唐までの詩論書から宋代の詩話に至っては、また作品の具体的な事情を論じるようになる。集の全体像、および個々の作品の背景への理解は、作者論へとつながっていく。世界的にも稀な勃興を見せた宋代詩論が唐詩隆盛を位置づける営みであったと同様に、平安の和歌を位置づけるために興った院政期および中世歌論の繁栄は、やはり中国宋代詩論に何弓かの触発を受けていると推測されるのである。
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