20年度は、ワーズワスにおける美学イデオロギーに関する問題に取り組んだ。具体的には、彼の代表作である『序曲』における自然と想像力というテーマが、いかに当時のイギリスにおける都市化と商業化の問題と結びついているかを分析した。自伝的な物語詩『序曲』は、あきらかに叙事詩として構想されている。叙事詩というジャンルが伝統的に公共的な価値をあつかうものである以上、ワーズワスが『序曲』を叙事詩として書いたという事実は、個人の内面的な成長という主題が、公共的な意義をもっていると彼が信じていたことを意味する。ワーズワスは、商業化と都市化がもたらす道徳的堕落に対する処方箋として、自然の内面化を可能にする詩的想像力の重要性を強調する。ワーズワスは、近代の商業社会は共同体や人間の日常的経験を断片化することで、人間の徳性を損なうと考える。『序曲』の核心にあるワーズワスの企画は、自然との交流によって想像力を陶冶することで、商業化と都市化によって断片化された人間の経験をふたたび統合する教育的な機能を、文学に託すということである。これまでの本研究の成果が明らかにしたように、ヒュームやアダム・スミスは、洗練された想像力で粗野な想像力を統治するということを企てていた。詩的な想像力によって、商業がもたらす想像力の堕落を防ごうというワーズワスの企画が、18世紀の道徳哲学の系譜に属するものであることはまちがいない。ワーズワスの特徴は、想像力と感受性の洗練を、文学とくに詩と結びつけたことである。20年度における研究は、『序曲』と『叙情民謡集』の「序文」をあわせて読解することによって、いかにロマン主義の想像力論が、18世紀の美学や道徳哲学と、商業と徳の両立可能性という課題を共有していたのか、また同時にロマン主義の想像力論が18世紀的道徳哲学をどこで袂を分かっているのか、といったことを解明した。
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