研究概要 |
キリスト教以前の諸文化伝承に関して,それが福音の到来を何らかの意味で予示すると解釈する視座は,教父神学の上で「予型論」とされる.これを「旧・新約」のみに限定せず,広く東方の文化伝承に適用して解釈する観点が,本課題における「東方予型論」である.ギリシア教父たちをめぐる内在的・方法論的省察((1)(2)(6);以下,次頁上記の業績より順に(1)(2)..で示す),古代壁画の実例に照らした基本的概念の具体化((3))とともに,西洋古典解釈への実践的適用((4)),ビザンティンの伝承を担う共同体に即したその意味づけ((5))等が今年度の研究成果である.「予型論」的概念を広範に展開させるためには,ラテン教父よりもギリシア教父の世界観・宇宙観をその中心に据えるのが適切であり,ビザンティン典礼の奉献文にその具体的表現が求められる。またこの種の世界観は,福音到来以前の西洋古典にあってもすでに意識されており,そこへの着眼は『アエネイス』を読み解くための方法としても有効である.「東方予型論」は,仏教など東方の伝承文化をめぐる解釈に適用可能となるとき,その理論的妥当性が実証されるが,(7)はそのための基礎的研究である.わが国への仏教の伝来以降,日本に既存する諸々の伝承は,仏教伝播の展開の上に位置づけられることになるが,種々の「仏教年代記」文書にはこの視点が顕著である.このような視座は,「予型論」的観点を受容するための前表として意義づけられよう.もっとも,福音の到来に先立って既存するこのような視座も,内在的真理の前にあらためて「予型」化され,生命の創造すなわち「復活」のエネルギーを受け容れるための「器」と化す.浄厳(1639-1702)や慈雲(1718-1804)らが大成させた悉曇学の伝承を西洋古典学の先駆けとして意義づけるとともに,仏教年代記を東方教会史の「器」とする視点を拓き得たことも,今年度の大きな研究成果として挙げられよう.
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