20世紀文学研究・文化研究の要諦となるべき重要な時期として位置づけられる1920年だから1930年代にかけての美学的、藝術的意識の形成を解明する目的で、この年代におけるヴラジーミル・ナボコフの主要長編小説の分析に努めた。平成20年度中になされた研究の成果を示す二篇の論攷において取りあげられたナボコフの作品、『ルージンの防禦』と『偉業』にあっては、ナボコフ自身の自叙伝(『記憶よ語れ--自叙伝再訪』)との関連においてとらえられてよい亡命者固有の郷愁と苦悩のみならず、1920年代におけるケンブリッジ大学の学園生活が活写されている(『偉業』)という興味深い側面をも見いだすことができる。この年代における諸作品に窺うことができるものが20世紀的な経験や感性の原型にあたっている点は疑いを容れないにせよ、同時に、前世紀(すなわち19世紀)に形成された知的風土が人びとの思考に一定の束縛を与えているという注目すべき事態が生じている点も看過できない。その一例となるのは、この場合、心霊研究に代表されるような、異界ならびに人間の肉体的な死のあとにおける精神あるいは意識の生存への関心である。そのような志向は、いっぽうにおいては、いうまでもなく不可知論へといたる途を開くものであると思われるが、それとともに、科学的、合理的な観念や方法の体系によってはついに蝕知可能となし得ない境域においてこそ、人間の想像力の役割は他のなにものにも代えがたい重要性を帯びるのではないかという展望にも通じているものと見なすことができるであろう。すなわち、主にドイツ観念論ならびに同時期におけるロマン主義美学に起点をおく旧来の想像力理論にたいして、20世紀的な(換言するならばより今日的な)認識の全体的枠組みに則した新たな想像力の意義の顕揚が1920年代、1930年代において兆しはじめていたことが、結論として主張されることになるのである。
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