平成18年度は予定通り、1920年代の黒人知識人たちは、何を意図してソ連を訪れたのか、また何を目論んでロシア文化に接触しそこから何かを学ぼうとしていたのかという問題を、Paul RobesonとLangston Hughesの二人に絞って検証した。とりわけMartin Dubermanの先行研究により、Robesonがソ連高官との個人的交友関係から模索していたのは、当時のソ連でより体系的に理論化されていたかに見えた「民衆」の演じ方であることが、明らかとなった。一方Langston Hughesについては、ソ連のみならず、スペインや中国の革命に関する随筆を多数残していたことが、近年ミズーリ大学出版局から刊行された全集などを通じて明らかとなった。New MassesやInternational Literature、アメリカ共産党の機関誌に発表されたそれらの論文は、彼がその特異な「越境的」知性を、徹底した反資本主義・反帝国主義・反人種主義的市民理念によって練り上げたことを暗示している。またそれらは、60年代に至る長い人生を送ったDuBoisやJosephine Baker等、大西洋を行き来した芸術家/運動家の思想とも呼応し合っている。 一方、そうした基礎的リサーチと並行して、平成18年度は日米多分野の研究者との交流を通し、このテーマから方向付けられる新たなパースペクティヴを得ることになった。それは、上述したような黒人左翼の文化交流に関する知見が開く、いくつかの日本の社会派作品についての解釈、並びにより広い意味での社会批評に対する新たな理解の可能性である。こうした可能性を模索するため、11月〜2月にかけては、沖縄文学者、米国アメリカ研究者、現代美術評論家と討議を重ねるとともに、年度を通じて、日本の文化作品についての学術論文を作成した。こうした準備作業は、平成l9年度以降の成果発表を目指して、黒人モダニズム研究の側面との有機的関係の下に練り上げられる予定である。
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