イギリスの批評家ジョン・ラスキン(1819-1900)の美術論のフランスにおける受容について、特にプルーストの著作(小説、評論とそれらの草稿)を中心に検証した.まず、美術館論について、ラ・シズランやアレー等、プルーストが参照している論考におけるラスキンの影響を浮き彫りにし、それが『アミアンの聖書』序文、ギュスーヴ・モロー論において熟成し、『失われた時を求めて』の生成過程で発展していく過程をたどった.ヨーロッパにおいて美術館の整備とともに注目されるようになったのがプリミティヴ派絵画であるが、これについての言及がプルースト草稿(カイエ64)中に存在することを学会で発表、今後ラスキンとの関連についてさらに考察を深める.上記のカイエ64は、ラスキンの美学に離反するために作家が彼固有の感覚論を展開している資料であることに注目し、多くのページが割かれているルコント・ド・リール論の検証を行った.カイエの大部分は『花咲く乙女たち』の物語のモンタージュであるが、海辺の少女たちの描写が、ルコント・ド・リールのポエジーのインスピレーションを受けつつ、反ラスキン的な美学に基づいて推敲が重ねられた経緯を詳しく辿った.『失われた時を求めて』の美学を、昨年調査した19-20世紀の美学哲学の流れの中に再び位置づける一方、ロマン主義から高踏派、そして象徴派へと以降する文学史の流れを再確認し、その展望の中であらためてプルースト個人に留まらず、フランス文学全体ラスキンの影響について考察することが今後の課題となるが、その基本となる資料をまず揃えた段階である.
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