中務はギリシア喜劇と狂言の詳しい比較の基礎作業として、古喜劇(アリストパネスに代表される)と新喜劇(メナンドロスに代表される)の連続性と不連続性について考察した。古喜劇における激しい社会批判と人身攻撃、変幻自在の言葉遊び、荒唐無稽なファンタジー、性とスカトロジーの横溢、等は新喜劇では影を潜めたが、一方で新喜劇は古喜劇の類型的人物を引き継いでもいる。また、新喜劇が人間の生き方を神のレベル・人間のレベルの両面から描くのは、古喜劇というより悲劇を引き継ぐものと考察された。ギリシア喜劇200年の歴史における変容を押さえた上で、喜劇的テクニック、人物造形、社会的機能等の観点から、次年度はギリシア喜劇と狂言の比較を行う。 高橋は、ローマ喜劇と狂言の比較から「喜劇的要素」について次の二つの方向で検討を行なった。一つは、昨年度に引き続いて、「劇的虚構」、および、その破壊という観点からのもので、「芝居」に関わるモチーフ、たとえば、たぶらかし、他の人間へのなりすまし、あるいは、踊りや囃子などを取り上げながら、とくに狂言にも「芝居」についての自覚的な表現が見られるかどうか検討した。いま一つは「類型」についてのもので、喜劇では、年齢や職業、身分などに応じて類型的な人物造形が行なわれるが、それらについてローマ喜劇と狂言のあいだで共通するものはあるのかどうか、また、それぞれの類型にどれほどヴァリエーションの広がりがあるのか、という観点から検討した。
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