古代ギリシア・ローマ喜劇と狂言はまったく異なる文化伝統の中で生成発展したが、同時代に材を取り、滑稽な言葉・しぐさ・趣向を用いて笑いの劇を目指すという共通点を持っている。それ故、有効な視点を用意すれば、両者を比較することにより双方に新解釈の光を投げかけ、更には喜劇的なるものの本質の解明にも資することが期待される。 中務はまず、ギリシア喜劇と狂言に共通して現れる趣向を探し出した。仲裁人のモチーフはメナンドロス『辻裁判』と狂言「鍋八撥」「牛馬」「竹の子」「鳴子遣子」「茶壺」「雁つぶて」などに現れるが、このモチーフがそれぞれいかなる社会制度の中から生じたか、どのようにして笑いの要素となり得たかを比較分析した。しぐさを交えつつ話を報告する仕方話の趣向はアリストパネス『テスモポリア祭を営む女たち』と狂言「千鳥」に用いられるが、ここでは劇(虚構)に中に仕方話(虚構)が入り込むことにより、現実と模倣・虚と実が入れ替わるのに、騙される者にとっては虚実の入れ替わりがずれて起こる、その辺りに喜劇の本質があることを考察した。中務が20人程のチームを組んで進めてきた「ギリシア喜劇全集」の翻訳は、アリストパネスとメナンドロスの現存作品をほぼ終え、断片の翻訳を残すのみとなっている。 高橋は喜劇の本質とは何かを解明する一環として、喜劇における「芝居(企み、変装)」の意義と効果をプラウトゥス『エピディクス』『捕虜』『カシナ』『アンピトルオー』『プセウドルス』、テレンティウス『ポルミオー』、狂言「柿山伏」「末ひろがり」「茶壺」「武悪」「鈍太郎」等において分析した。喜劇作家は観客の理解支持を得るため、類型化された登場人物や場面設定を用いながら、秘かに新機軸を忍び込ませるが、これは文学における伝統の継承と革新という大きなテーマに通ずるものであることが明らかとなった。
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