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2007 年度 実績報告書

ヴィクトリア朝中期におけるディケンズに対するマスメディアの共鳴と反発現象の解明

研究課題

研究課題/領域番号 18520209
研究機関広島大学

研究代表者

植木 研介  広島大学, 大学院・文学研究科, 教授 (20033508)

キーワードヴィクトリア朝 / マスメディア / ディケンズ / 共鳴 / 反発
研究概要

平成18年度にザ・タイムズ・デジタル・アーカイヴを通して入手したディケンズに関する記事をさらに細かく分析した。その結果次のような内容が明らかになった。
○ザ・タイムズの編集者への手紙はディケンズが亡くなるまでに12通あること。よく知られている公開処刑の廃止に関するものの外に、自分が編集している『ハウスホールド・ワーズ』に関するものが2通、たまたま乗り合わせていた列車の事故について1通。といろいろな内容が含まれているが、ザ・タイムズど論争をしているものは無く、ディケンズとタイムズ社の関係は良好であったとかんがえられる。
○ディケンズの名前が出てくる記事が20あるが、初めのころは『ハウスホールド・ワード』の宣伝になっているもゐが見られ、まだデイケシズが公開朗読をするようになると、その内容を伝える記事になっており、ディケシズとザ・タイムズの関係は良好である之分かった。
平成19年の夏にアメリカのスタンフォード大学でコピーできた「デイリー・イーヴニング・トランスクリプト』には、アメリカだ到着したディケンズが歓迎晩餐会に出席するという、ディケンズ歓迎のニュースとなっており、半年後のコピーライトを巡る騒動の影も形も見られない。
以上のことから、1845年暮れからのディケンズとザ・タイムズの反目と漫画戯画雑誌『メフィストフィリーズ」のディゲシズに対する皮肉な戯画は一時的なもので、ディケンズが新しい新聞『ザ・デイリー・ニューズ」を創刊することに対する反目が原因で、彼が新聞編集から手を引いたあとは『メフィストフィリーズ」もわずか3ケ月で廃刊になっている。このことから発行人の詳細が不明な『メフィストフィリーズ』も裏でザ・タイムズ系の何者かがその発行に関与していたとも考えられる。
いずれにしてもディケンズとマスメディアはほとんどいつも良好な関係であったと結論してよかろうと思われる。

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公開日: 2010-02-04   更新日: 2016-04-21  

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