現在時制の文法理論の各種を概観し、その適用範囲を考察する論文と、小説等の語りに限定した時制理論の先行研究を実地検証する論文を執筆、発表した。前者では、特に現在時制使用の大原則をimperfective相に求める方向性を持つ理論(Peter Harder、Ronald Langacker、樋口万里子による)を重視し、それが万能ではないことを示しつつも、たとえばPeter Ackroyd作ChattertonやPenelope Lively作ThePhotograph等の作品においては、小説が提示する世界観を表現するのに、現在時制が醸し出すimperfectivityが大いに貢献していることを見た。すなわち、現世と来世、もしくは複数の時点の記憶場面が、同時・同次元に存在するという世界観である。また、Zadie Smith作White Teethにおける現在時制使用についても、同様の観点から別論文で分析を試みた。 また、後者の論文においては、Sarah Waters作Fingersmithを一種の試金石として、Christian Casparis、Suzanne Fleischman、Dorrit Cohn、Monika Fludernik、Deborah Schiffrin、Theo Damsteegtらの諸説を検討し、それぞれの適用限界を見極めたうえで、Harald Weinrichの「語りの時制」論に立ち戻ることの意義を再確認した。すなわち、時制と時間表現を切り離し、現在時制の動詞群が支配的な文章は、「説明・談話の態度」を示している、とする考え方が、いまだに有効に働きうる、と主張した。
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