時制に関する文法論・物語論に関しての検証作業を総括した上で、20世紀後葉という特定の時代、そして英国及び英連邦(旧英植民地)という特定の地域において現在時制語りの小説が顕著な隆盛を見せた現象を、社会背景や時代背景という側面から検討する作業を進めた。結果としての仮説を、日本英文学会九州支部第60回大会(熊本大学、平成19年10月28日)において口頭発表した。20世紀後葉は、第二次大戦終結とその余波としての旧植民地の独立機運などの影響を受け、歴史学及び歴史記述に関する学問の上で、いわゆるミクロヒストリーや「下からの歴史」という革新的な考え方が誕生し発展してきた時代である。そこから、複線・多層的な歴史観、時間観も生まれた。歴史記述に対する姿勢の革新を、文体の上でも表現したいと考えた一部の新しい歴史小説家たちが、因習的で権威者による裁可の臭いが染みついた過去時制語りを避け、現在時制語りに新しい可能性を見いだした、と考えられる。また、20世紀後葉には、こうした歴史観と並行する形で、文化記述や民族誌の分野でも、マイノリティの文化が注目を浴びることになった。現在時制語りの小説というジャンルには、被植民地の民族国民、女性、カウンターカルチャーに身を置く人々など、さまざまな社会的弱者が書いたもの、もしくはそうした人々や共同体を扱うものがかなり多い。歴史記述の場合にも言えることだが、現在時制は「レジスタンスの文体」とでも呼ぶべきものと解釈できるのではないか。ただし、使いようによってはこの文体は、社会的弱者による手放しの自画自賛という独りよがりに陥る危険もないではない。さらに、弱者の文化・歴史記述を、社会的強者がこの文体で行う際には、いわゆる「民族誌的現在時制」がもたらす利己的なロマンティシズムが忍び込む可能性もある。1980年代すなわち、帝国主義時代にあからさまな郷愁を示したサッチャリズムの時代の現在時制語り小説を読むには、そうした側面への注意も必要となるだろう。以上が主張の要点である。
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