英国出版史関係文献、英国ルネサンス演劇、英文学関係書籍、日本出版史関係書籍の収集と調査を継続し、シェイクスピアの『リア王』のテクスト編纂の問題に関する論考「『リア王』と2つのテクスト」を刊行した.その結論は、次の通りである。 Q(四つ折本)とF(二つ折り本)は趣の異なるテクストである。Qは、登場人物の正邪善悪をくっきりと描き出していて、観客の情緒に訴えるような構成である。アクションは、善悪の対立を軸として展開する。登場人物を正邪善悪の二分法で裁断することを観客に求める。Q版『リア王』は決してメロドラマ(感傷的通俗劇)ではないが、正邪善悪の区別がより明確で感傷に訴えるという意味ではメロドラマに傾斜する。それに対してFは道徳的な枠組みがQほど明確ではなく、感傷性は希薄で現実性が強い。Fはリアルな視点から権力をめぐる闘争を描出する。リアと娘たちとの対立は、単なる老親と不孝娘の対立ではない。かつて支配者であった者と新たに権力を得た者との覇権争いである。フランスをも巻き込む、国家レベルの権力抗争である。感傷のヴェールを剥ぎ取られたFは、このような政治的側面がよりむきだしになるテクストである。この両版の違いはあくまでも比較の問題である。しかし差異は微妙であるが局所的ではなく、まさしく「作品の全体的構成」にかかわっている。QとFはいわばヴェクトルの異なるテクストである。QとFは趣の異なるテクストであるから安易に合成すべきではない。合成をよしとする編者はすくなくとも、QとFの合成によって、第3のヴェクトルをもつ、作者のあずかり知らぬテクストを創出しているかもしれないという自覚が必要である。 上記論考の刊行に加えて、次稿執筆の準備として、『リア王』の両古版本(QとF)の印刷所原本に関する資料収集と調査を行った。
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