論考「ロンドン書籍商組合記録と戯曲本の出版統制」を刊行した。その骨子は、次の通りである。 戯曲も他の書籍と同じく、2~3割が書籍組合登録簿に登録されることなく出版されている。無登録出版は無許可出版だとみなされる傾向がある。しかし無登録出版はおそらく、無許可出版ではなかった。というのも無登録出版ゆえに処罰されたという記録がほとんど見えないからである。この時代べての書籍は出版前に組合の許可を得なければならなかった。もし無登録出版が不法行行為であったとすれば、おびただしい件数の無登記出版処罰記録が書籍商組合記録簿に残されていただろう。そういう記録がほとんど見えないということは、いわゆる「海賊版」は別として、無登録で出版された書籍もおそらく組合の出版許可を得ていたということである。 すべての書籍の出版は書籍商組合の許可を得なければならなかったというのは、組合が出版物の検閲をしていたということとは少し違う。組合が物議をかもすかもしれない書籍の出版を警戒していたというのは事実だろう。そういう意味では組合も「検閲」したのである。しかし組合の「検閲」は、公式検閲者(当初は聖職者がほとんど)が政治的・社会的あるいは宗教的見地から行っていた検閲とは本質的に異なる。組合の審査の目的はまず、組合の独占的権益を確保することであった。当局の意に沿う形で書籍の出版の可否を審査することは、特許状によって保証された経済的特権を守るための方策のひとつであった。 論考「シェイクスピアと検閲」(「平成18~21年度科研費研究成果報告書」pp.7-100)を執筆した。本論考では、検閲の影響が指摘されるシェイクスピアの作品を取り上げて、シェイクスピア劇の「検閲」と「筆禍」がいかなるものであったかを詳述し、また問題となっているテクストを分析することによって、シェイクスピア劇を検閲という歴史的文脈で説明しようとする論考の多くがいかに妥当性を欠くかを明らかにした。本論考の随所に、本研究課題「戯曲本の出版統制」の研究成果を取り込んでいる。
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