本研究は三年計画で、三人の南部アグレーリアンの「伝記」作品に焦点をあて、そこから各作家・詩人の南部文芸復興における位置づけ、さらには当時の時代思潮の基底にある思考や認識の枠組みを掘りおこすことを目的としているが、平成20年度は、前年度に取りあげたアレン・テイトのストーンウォール・ジャクソン伝とジェファソン・デイヴィス論をさらに詳しく検討した。そこで明らかとなったのは、「伝記」とはいいながら、そこにはテイト自身の南部史観が明瞭に現れていることであり、そのため対象となったジャクソンやデイヴィスの実像以上に、作者テイトの自画像がはっきりと浮かびあがってくるということであった。その意味で彼の伝記作品は、いわば「自己発見」、さらには「自己定義」となっている。テイトにとってジャクソンは旧南部のよき伝統の具現であり、逆にテイトの筆法鋭いデイヴィス批判は究極的には北部社会批判に通底していくものであるように思える。階層にもとづいた社会秩序、そこに生まれてくる義務の観念、具体的な歴史が人間存在を確固たるものにするのだという感じ方、こうしたものが北部では抽象的な自由や権利の概念、産業化、利益中心主義によって失われているがために、人間がその存在の拠り所を見失い、断片的存在と化している。こうした見方がテイトの北部批判の核心であるが、それはモダニズム=近代批判にほかならず、それはその後のテイトの文学的生涯にそのまま接続していくものである。その意味においてこれらの伝記作品は重要な意味を持つものであるといえる。 アンドルー・ライトルの場合も基本的に事情は同じであり、彼がフォレスト将軍に見たものは、後年の作品で美化されつつ形象化されていく「独立自営農民」、およびその土地に根ざし共同体に包まれた人間存在のあり方である。ライトルもフォレスト像を通して旧南部のよき伝統を描き出し、そのことによって北部における産業主義、金銭第一主義による人間存在の衰弱化を指摘し、近代主義批判を展開しているのである。テイトとライトルが揃って旧南軍将校の伝記に取り組んだ背景には、スコープス裁判による南部蔑視に反撃する意図があり、そのことを通して彼らは「南部」を発見し、「自己定義」を行なっていったといえる。当初予定したロバート・ペン・ウォレンのジョン・ブラウン伝に関しては、残念ながら、詳細な考察を行なうまで至らなかった。
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