本研究の出発点は、20世紀のオーストリア文化史に多くのスキャンダルが発見できるという事実である。この点に関して、以下のような問いを設定し研究を行った。 (1)文化的スキャンダルと政治的スキャンダルの違いはどこにあるのか。政治的スキャンダルに関する理論はいくつかあるが、文化的スキャンダルに関する理論はない。どのようなものが考えられるか。 (2)文化的スキャンダルは、文化的生産物をめぐる対決の諸形式である。それではスキャンダル的対決と、論争による対決の違いはどこにあるのか。 (3)文化的スキャンダルは、美学的・政治的・経済的・道徳的・イデオロギー的ディスクルスの交差である点において興味深い。このディスクルスはどのように記述され、また分類できるか。 (4)文化的スキャンダルのディスクルスは、国家の文化的特性とどのように結びつくのか。 これらの点に関して、私の立てた命題は以下のようなものである。すなわち、オーストリアとドイツの文化は、文化的生産物をめぐる対決のあり方において区別できる。ドイツにおいてその対決は論争という形をとるのに対して、オーストリアではスキャンダルとなって現れる。したがってドイツには論争文化があり、オーストリアにはスキャンダル文化があるといえる。これらの論点に関して論文を執筆すると同時に、ベルリン自由大学の国際学会で発表を行った。 研究分担者の黒子は、ウイーン(オーストリア)とケルン(ドイツ)において研究を行い、オーストリアとドイツの言説形成の特性の比較検討をおこなった。
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