白人による東洋人演技であるイエローフェイスは、ジョセフ・ヘンリー・ベンリモとジョージ・C・ヘーゼルトンの手で前衛的な舞台『イエロー・ジャケット』(初演1913年)を結実した。アメリカ初の本格中国演劇と喧伝され、当初は高い評価を得た作品だったが、15年という歳月を経て、「中国演劇の翻訳でも翻案でもなく、中国衣装をまとっただけのもの」という「暴露」がなされ、それが災いして今日ではこのユニークな演劇は完全に忘れられた作品となっている。本研究ではその欠落を埋めるべく、平成18年度には、ニューヨーク公共図書館にある、ベンリモ文書とヘーゼルトン文書の資料調査を行い、『イエロー・ジャケット』の演劇的/文化的意味を再検討した。そのなかで、イエローフェイスが1913年当時審美的なプロモーション上の問題でもあったことを跡づけるとともに、二人の作家の共作の実態を明らかにするべくこの劇作品の脚本草稿を調べ、京劇的要素を多分にト書きの形で盛り込んだのがベンリモであったことを実証した。ベンリモが特に力を注いだのがプロパティ・マンと呼ばれる京劇の「検場」、歌舞伎でいえば「黒子」の存在である。この役所は芸達者な喜劇俳優たちによって演じられ、今日でいう「メタ演劇」を実現する契機をなした。また、ベンリモの師匠であり、「蝶々夫人」をはじめとする豪奢なアジア舞台をつくり出したベラスコの資料(同じくニューヨーク公共図書館蔵)や自伝等を検討することで、彼の審美的アジア像の構築にも、メタ演劇的展開が潜在していたことをつきとめ、現在は、そうして得た基礎調査結果をもとに、成果を論文の形にまとめている。加えて本年度は、同時代1900-1910年代に活躍したハシムラ東郷を名乗ったウォラス・アーウィンら、擬似日本人作家と同時代イエローフェイス映画との関わりについて考察を進め、2論文を発表する機会を得た。
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