平成19年度は、1930年代前半にサンフランシスコで人気を得たラジオ・プログラム『フランク・ワタナベとアーチー卿さま』の現存するプログラムCDを入手し、この時代にイエローフェイスという演劇形態がラジオという媒体のなかでどのように変質し、延命したかを検討した。フランク・ワタナベのラジオ番組は従来取り上げられることのほとんどなかった素材である。イエローフェイスの20世紀的展開の一部として、この疑似日本人を主人公とするラジオ番組の意味を問うところに、本研究のユニークな意義と展開がある。 1900年代から10年代にかけて、アメリカのブロードウェイを席巻したイエローフェイスの演劇は、豪奢で審美的で悲劇的なアジアを数々の実験のなかで作り上げることに成功し、それがひいては環太平洋という意識を持ち始めたアメリカの演劇の新しいセルフ・イメージとなっていた。しかし、視覚にこだわる演劇と違い、ラジオという聴覚のみがたよりの媒体においては、イエローフェイスの営みは、へんな訛をもつおかしな日系人召使いが不用意につくりだす笑いを基本とする、喜劇路線をとった。その点ではむしろ、ウォラス・アーウィンのハシムラ東郷シリーズやオノト・ワタンナの1907年の召使い小説『デライラの日記』をこそ踏襲する路線であった。しかし、ハシムラ東郷が一人称で語られるために、率来人種差別のためのアクセントが人種に関係なく無差別に使用されるという特徴をもち、そのために、東郷コラムが笑いとともに鋭敏な社会批評性を発揮しえたのに対して、フランク・ワタナベをタイトルにするラジオ番組には社会批判性は希薄である。ワタナベの奇矯さは、彼個人の域をでることがない。逆にいえば、その分だけ、ワタナベは社会にとって「無難な」一員だったのであり、日系二世たちに彼が好意的に受容されていた理由をそこに見出すことができるのではないか、という結論をえた。
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