本年度は、第二次世界大戦前後という、本研究が守備範囲とするイエローフェイス営為研究の最終地点を中心に研究を進めた。ジョン・P・マーカンドのミスター・モト連作は、第二次世界大戦を挟む30年間に、日本人諜報部員像を紡ぎ出したが、その日本人像は必ずしも大戦中の「敵の顔」ではない。モトは冷徹ではあっても非人間的イメージを持たない、戦前戦中戦後を通して存在しうる写実的な人物像であり、また本研究初年度で考察したベンリモのメタ演劇的存在「検場」と相似する立場を小説中とる点でも、一枚岩的な「敵の顔」とは異なる。人間的深みを欠く人種ステレオタイプには変わりないものの、モトはウォラス・アーウィンのハシムラ東郷の変異体である。マーカンドとアーウィンは、発表媒体、経済破綻の経験、階級差を軸にする批判精神を共有した。第二次大戦に至るまでの人種ジェンダー表象とユーモア報道については、滑稽新聞「ライフ」を例に実証研究をすすめ、そうした文化背景に照らし合わせる形で、マーカンド論を現在執筆中である。 加えて、第二次大戦時、マーカンドは「モト」連作を中断したが、アーウィンは東郷連作を発展させる文章(未発表)を残した。「日本人学僕、栄光の戦場へ行く」「日本人脱走兵の手紙」「アンクル・アドルフとマック・東郷」と題された文章が残っており、それらを分析した結果、アーウィンはマーカンドとは違う二方向でハシムラ東郷の延命を模索していたことが了解された。一方では悩める人間として、もう一方では笑いと批評の武器となる道化の人形とすることで、アーウィンは戦時下のアメリカの「常識」に対する懐疑精神を東郷に体現させていたのである。この点については、本年度はセミナー発表、論文出版の機会を得た。またマーカンド論以外の部分については、単行本『ハシムラ東郷-イエローフェイスのアメリカ異入伝』として成果をまとめ出版した。
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