今年度は、昨年につづき『失われた時を求めて』第4巻『ソドムとゴモラ』におけるアルベルチーヌ導入の結果として、無意志的記憶のテーマがどのように変貌していったかを検討した。具体的には、『ソドムとゴモラ』の最終部において、遅れてきた登場人物のアルベルチーヌが主人公の<私>に第1巻で登場するヴァントゥイユ嬢とその女友だちとの昔の関係を"告白"する場面を中心に考察をすすめてきた。この箇所で、作者プルーストは、告白を受けて主人公の<私>が心情を吐露させるが、そこに唐突にも主人公の祖母(=実質的に母)の死に伴う自己処罰を『ソドムとゴモラ』の清書原稿に加筆した。その箇所の前に起こった、死んだ祖母が主人公の前に出現するのが「心情の間歇」のテーマであるが、その本質は無意志的記憶が惹き起こす現象である。それをもって、作者自身、一時期、この"告白"の場面を「心情の間歇II」として予告していたが、最終稿ではその名称を放棄した。しかるに新プレイヤード版の編者は「心情の間歇II]としてレジュメでひとつの章として設定している。われわれの見地からしては奇妙な解釈である。ここで検討すべきはむしろ、作者プルーストと主人公・話者の<私>の相互干渉、もしくは作家の物語構造の主軸である話者の立場への介入であろうとおもわれる。物語のなかで異性愛者として措定されている話者が一時的にも同性愛者として語りを司ったと解さなければ理解不可能である。以上の論点を07年3月に発行された政経学部の紀要に発表した。
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