19年度は、特に、イングランドの支配を受けていたアイルランドで1330年ごろ書かれたHarley 913(大英図書館所蔵)を取り上げた。この写本には、英語、仏語、ラテン語による作品が収録されている。12世紀まで、アイルランドでは、アイルランド語とラテン語の2つの言語が用いられていたが、イングランドに支配されてからは、すでにイングランドを征服していたノルマン人の言語である仏語が、アイルランドにも、もたらされた。このうち、ラテン語によるものは、聖フランシスコとその修道会に関する記録が主である。英語で書かれた作品は、調刺詩や宗教詩で、説教をする際、朗読されたと考えられる。アイルランドでは、中英語による新しい作品はあまり生み出されていないので、シトー会の修道士を颯刺した詩、Land of Cockaygneの存在は特異である。わずかに含まれる仏語による作品は、13世紀に起こった出来事を韻文にしており、内容から察するに、歌われていたと推測される。14世紀のアイルランドでは仏語が公的文書にのみ用いられ、話し言葉としては死語になっていたにもかかわらず、この作品が記録され続けられていた事実はたいへん興味深い。 アイルランドも研究対象の地域となったので、イギリスに加えて中世アイルランドにおける言語と社会に関する文献リストを作成し、関連する資料を国内外で購入した。イギリスでは、ケンブリッジ大学図書館で写本調査を行い、アイルランドのウォーターフォード市立図書館では、Harley写本に関わる研究調査を行った。海外では国内で入手が困難な資料をコピーし、日本でも研究が続けられるようにした。秋には、コペンハーゲン大学の名誉教授であるアルネ・ゼッターステン博士を関西大学東西学術研究所に招聘し、今回の研究について、ディスカッションする機会を得ることができたのも大きな成果であった。
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